こまえ探究記~郷土史と古代信仰と~

こまえ歴史探訪

日本の文化と歴史をたどって

富士市須津【中里八幡宮】

須津の鎮守神社 中里八幡宮

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静岡県富士市須津に行ってきました。

岳南鉄道で揺られること数駅、須津とかいて「すど」と読む

のどかな無人駅です。

 

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駅から歩くこと数分、須津地区の中心地から「中里」と

呼ばれる地に鎮座した村の産土神

【中里八幡宮】があります。

 

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鎌倉時代に須津の庄を治めていた

【羽林中将隆茂(うりんちゅうじょうたかもち)】

によって、文永年間(1264~1274)に創建されたと伝わります。

 

御祭神 摂社 末社


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 丸子大神 浅間大神

 

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 愛鷹明神 秋葉神社 山神社

 

 

本殿、拝殿

戦国時代は、今川氏、武田氏、北条氏に保護されてきましたが

永禄12年(1569)に、武田信玄に焼かれてしまいます。

 

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現在の本殿は大正6年(1917)に改築されたもので

拝殿は、日吉造りと呼ばれる、ひさしが前方と左右の三方向にある

つくりで、昭和15年に改めて改築されました。

 

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龍の彫刻は、稲垣米作の寄進で、興津生まれの

望月叉八郎秀晃の作といわれています

 

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この水盤は、愛鷹山の石で享保18年(1733)

古郡信精の奉納といわれています。

 

 

 

江戸時代から続く八幡宮の奉納相撲

 

中里八幡宮の祭典は10月17日、

八幡宮ではこの日、午前中式典を行い、午後は村内の若者

近郷近在から集まった力自慢の若者たちによって奉納相撲が盛大に

挙行されたそうです。

 

昭和24年秋台風によって人身事故があったのを機会に、それ以後

奉納相撲は取り止めとなりました。

 

 

狛犬

 

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(神社の魔除けとして置かれている神さまのお使い)

鉄筋コンクリート製で昭和25年に奉納

 

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創健者の羽林中将隆茂とは?

 

鎌倉中期この須津庄を領地とした

「羽林 中将 冷泉隆茂(れいぜいたかもち)」

 

後嵯峨天皇の第一皇子宗尊親王の従者だといいます。

 

宗尊親王といえば皇族初の征夷大将軍です。

鎌倉幕府6代「源宗尊」として、源氏の氏神さまは

八幡神応神天皇)」だったことから

主君である源宗尊の氏神さまを

須津の中里八幡宮として勧請したのかも知れません。

 

近くには「宇佐八幡宮」があることも興味深い

 

「冷泉」とは藤原為家の子「冷泉為相」を祖に持つ公家です。

冷泉為相の母は阿仏尼で「十六夜日記」などで知られた人物

鎌倉市扇ガ谷の浄妙光寺に為相の墓所があります。

 

はっきりとしたことはわかりませんが

為相を祖に持つ冷泉家と、須津の冷泉隆茂も同じ系統

ではないかと考えています。

 

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愛鷹山も魅力満載!


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中里八幡宮の社図


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うっすら富士山がみえます。

 

長閑な街、静かな時間に癒されました。

 

訪れてから一年経ってしまい細かい

歴史を忘れてしまいました。

 

また機会があれば続きをかきます。